今回は、以前からフライングをして『祝・15周年!』と煽りながらも、具体的には触れていなかった みちのくプロレスの思い出話を書きます。長文になりますがご勘弁を。
今週の週プロの みちのく特集での鈴木健ちゃんばりにぶっちゃけますが…
今週の週プロの みちのく特集での鈴木健ちゃんばりにぶっちゃけますが…
僕、みちのくを観戦したのはたった2回だけなんですよ。
まぁ、人生社長の出身地の徳島県のAMラジオ局・四国放送が『週刊チョークプロレス』という45分間のプロレス情報番組を毎週放送していまして、
人生社長が準レギュラーとして定期的にインタビューを受けたり、
デル師匠がコーナーを担当していた関係で、みちのくプロレスの事は観戦しなくても変に詳しかった(笑)
特に後者のデル師匠のコーナーは、大将の股をくぐらされた事件の後の失踪中の時以外は、みちのくプロレス離脱以降も続いてまして、
ついでに書けばデル師匠は、かなり早い段階でメンテーさんを
『(しれっと)あいつホモやもん。気持ち悪いから試合やりとーないわ』
と決めうちしていたりします。
あぁ懐かしい(しみじみ)
厳密に書けば、その2回の観戦とは別にですね…
スーパーJカップでみちのくがオーバーした後に、愛媛県の某市(何処か忘れた)で、地元の青年会が主催する売り興行を開催したんですけど、
僕はJRを乗り継いで観戦しに行った訳ですが、チケット準備の段取りが悪かった&会場の体育館が小さ過ぎた為当日券が殆ど出ず、
四国の他県や岡山から密航してきた何十人もの方が、興行開始前に門前払いを食らい、
一部の方は体育館の周りに生えている木に登り覗き見をしようとしたり、
ええ歳したおっちゃんが、当日券担当の青年会の方に
『責任者出せや!責任者誰や?サスケか?サスケ出して謝らせろや!』
と食ってかかる異常事態。
もちろん僕も、当日券目当てだったので観戦できず。
本当嫌な思い出ですよ。
やむなく、帰りのバスの時間まで待つついでに、会場の外の売店の品物を観ていたら、
唐突にヨネ原人が場外乱闘で売店まで飛んできた瞬間だけは笑顔になりましたが…
そんな事があって、初めてみちのくプロレスを観戦したのは、96年の暮れの岡山武道館大会。
ところが!
これがまたですねぇ、エースのサッちゃんが、同日に開催されていたFMWの代々木のビッグショー(違っていたらすみません)のセミで組まれていた、
ハヤブサとのシングルマッチを優先した為に、欠場しやがったんです(涙)
ちなみに、その時のFMWのメインは、今は亡き荒井さんの本でも取り上げられていた、ポーゴさんの復帰戦。
もっとも、サッちゃんは不在ながらも、どの試合も程良く盛り上がり、さほど違和感はなかったんですけど、
メインの海援隊DXvsデル師匠率いる正規軍の6人タッグがちょっと…ねぇ。
具体的に書きますと、その日デル師匠と組んでいた4代目タイガー(今じゃ絶対ありえんわ 爆)がヒザを怪我していて、
海援隊DXが見栄えの良い連携よりも、タイガーのヒザの一点集中攻撃を優先したもんだから、終盤の観客の盛り上がりはいまいち。
しかもフィニッシュは、メンテーさんの監獄固めでタイガーのヒザが壊されてレフェリーストップ→タイガーは担架で退場→以降は長期欠場
という、絵に書いた様なバッドエンド(困惑)
歳をとった今考えてみれば、タイガーのヒザが悪いだけで海援隊自体はそこまでえぐい反則をしなかったから、複雑な気持ちになるのですが…
2回目の観戦は、97年春の、新崎人生・徳島凱旋興行。
主役の人生社長は、セミでカニくんと緩めのシングルで館内を暖めて、
メインは正規軍vs海援隊DXの10人タッグ!
地方興行なのにメインが10人タッグですよ。
どれだけぜいたくな時代やねんって話ですよ(苦笑)
ところが、そのメインがですね、これがまた…
この日の正規軍は“徳島県限定キャラ”阿波ごじゃ平(果実の すだちをイメージしたマスク着用)が参戦してたんですけど、
開始10分ぐらいで、ごじゃ平のマスクが破かれて(中身は薬師寺)大流血させられるという展開。
今の どらげ〜に全く負けないぐらいハイスピードな試合だったし、その薬師寺の大奮闘もあったので、
これはこれで良い試合にはなったのですが、試合後は海援隊のワンマンショーみたいになりまして…
完全な偶然ですが、海援隊が強すぎて、みちのくプロレスの会場で僕はハッピーエンドを体験した事がない。
みちのくなのに・みちのくなのに・みちのくなのに…(涙)
ええ加減長くなったので、『ノスタルジックツアー』後楽園大会の試合については後日書く事にしますが、
サムライorガオラのニアライヴで観戦する予定のこの後楽園大会は
『頼むから、みちのくならではのハッピーエンドをみさせてくれ!』
と、魂の叫びを書き記して、今回の文章を締める事にします…。
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まぁ、人生社長の出身地の徳島県のAMラジオ局・四国放送が『週刊チョークプロレス』という45分間のプロレス情報番組を毎週放送していまして、
人生社長が準レギュラーとして定期的にインタビューを受けたり、
デル師匠がコーナーを担当していた関係で、みちのくプロレスの事は観戦しなくても変に詳しかった(笑)
特に後者のデル師匠のコーナーは、大将の股をくぐらされた事件の後の失踪中の時以外は、みちのくプロレス離脱以降も続いてまして、
ついでに書けばデル師匠は、かなり早い段階でメンテーさんを
『(しれっと)あいつホモやもん。気持ち悪いから試合やりとーないわ』
と決めうちしていたりします。
あぁ懐かしい(しみじみ)
厳密に書けば、その2回の観戦とは別にですね…
スーパーJカップでみちのくがオーバーした後に、愛媛県の某市(何処か忘れた)で、地元の青年会が主催する売り興行を開催したんですけど、
僕はJRを乗り継いで観戦しに行った訳ですが、チケット準備の段取りが悪かった&会場の体育館が小さ過ぎた為当日券が殆ど出ず、
四国の他県や岡山から密航してきた何十人もの方が、興行開始前に門前払いを食らい、
一部の方は体育館の周りに生えている木に登り覗き見をしようとしたり、
ええ歳したおっちゃんが、当日券担当の青年会の方に
『責任者出せや!責任者誰や?サスケか?サスケ出して謝らせろや!』
と食ってかかる異常事態。
もちろん僕も、当日券目当てだったので観戦できず。
本当嫌な思い出ですよ。
やむなく、帰りのバスの時間まで待つついでに、会場の外の売店の品物を観ていたら、
唐突にヨネ原人が場外乱闘で売店まで飛んできた瞬間だけは笑顔になりましたが…
そんな事があって、初めてみちのくプロレスを観戦したのは、96年の暮れの岡山武道館大会。
ところが!
これがまたですねぇ、エースのサッちゃんが、同日に開催されていたFMWの代々木のビッグショー(違っていたらすみません)のセミで組まれていた、
ハヤブサとのシングルマッチを優先した為に、欠場しやがったんです(涙)
ちなみに、その時のFMWのメインは、今は亡き荒井さんの本でも取り上げられていた、ポーゴさんの復帰戦。
もっとも、サッちゃんは不在ながらも、どの試合も程良く盛り上がり、さほど違和感はなかったんですけど、
メインの海援隊DXvsデル師匠率いる正規軍の6人タッグがちょっと…ねぇ。
具体的に書きますと、その日デル師匠と組んでいた4代目タイガー(今じゃ絶対ありえんわ 爆)がヒザを怪我していて、
海援隊DXが見栄えの良い連携よりも、タイガーのヒザの一点集中攻撃を優先したもんだから、終盤の観客の盛り上がりはいまいち。
しかもフィニッシュは、メンテーさんの監獄固めでタイガーのヒザが壊されてレフェリーストップ→タイガーは担架で退場→以降は長期欠場
という、絵に書いた様なバッドエンド(困惑)
歳をとった今考えてみれば、タイガーのヒザが悪いだけで海援隊自体はそこまでえぐい反則をしなかったから、複雑な気持ちになるのですが…
2回目の観戦は、97年春の、新崎人生・徳島凱旋興行。
主役の人生社長は、セミでカニくんと緩めのシングルで館内を暖めて、
メインは正規軍vs海援隊DXの10人タッグ!
地方興行なのにメインが10人タッグですよ。
どれだけぜいたくな時代やねんって話ですよ(苦笑)
ところが、そのメインがですね、これがまた…
この日の正規軍は“徳島県限定キャラ”阿波ごじゃ平(果実の すだちをイメージしたマスク着用)が参戦してたんですけど、
開始10分ぐらいで、ごじゃ平のマスクが破かれて(中身は薬師寺)大流血させられるという展開。
今の どらげ〜に全く負けないぐらいハイスピードな試合だったし、その薬師寺の大奮闘もあったので、
これはこれで良い試合にはなったのですが、試合後は海援隊のワンマンショーみたいになりまして…
完全な偶然ですが、海援隊が強すぎて、みちのくプロレスの会場で僕はハッピーエンドを体験した事がない。
みちのくなのに・みちのくなのに・みちのくなのに…(涙)
ええ加減長くなったので、『ノスタルジックツアー』後楽園大会の試合については後日書く事にしますが、
サムライorガオラのニアライヴで観戦する予定のこの後楽園大会は
『頼むから、みちのくならではのハッピーエンドをみさせてくれ!』
と、魂の叫びを書き記して、今回の文章を締める事にします…。
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コメント
コメント一覧 (1)
で、それも「ニアライブ」されるのか(笑)