G+『プロレスクラシック』の三沢選手の追悼特集の中で放送された、90年4月の全日本プロレス ファン感謝デー後楽園大会のメインを観ました。
まずは前ふりから。
僕は、基本的に昔のプロレスの映像はあまり観ない様にしています。
観たとしても、この場で積極的には取り上げたくないんですよね。
何というか…
それなりに歳はとってしまったけど、
『昔のプロレスは良かった』
で終わってしまうベタな文章を何回もブログに書くほど歳を取ってないぞ・だって、現在進行形のプロレスだって面白いやろ?みたいな感じで。
大体、今も昔もプロレスというジャンルは素晴らしいもんなんやから…ね。
まぁ、前田日明vsアンドレは観た事がなかったし、あーいうムチャクチャな内容だったから、こんな風にあーだこーだ書きましたが、これは例外と受けとめて下さい(苦笑)
それで、本題…
何故この試合を観たのか?
日テレの全日本プロレス中継は60分枠だったのですが、メインだったこの試合は50分間もやってしまったので、
通常放送では他の試合も放送必要があり、メインながらも編集されまくりの状態で放送されたから、後日特別にプロレス特番の扱いでノーカット放送されたんですよね。
当時は、全日本プロレス中継というソフトが日本テレビからそれだけ高評価されていた訳です。
ファン感謝デーとは別の回ですが、深夜ながらも福沢アナが番組中にキャンペーンをやって、視聴率10%達成したという快挙もあったっけなぁ…
ところが。
そのノーカット放送特番は、残念ながら僕の地元では放送されず(爆)
僕の友達は、若気の至りで地元のテレビ局に抗議の電話をするって言っていたぐらいにショックを受けた思い出がありましてですねぇ。
当時高校3年生だった僕は、クラスにいた数少ないプロレス好きの仲間らと、当時の週刊プロレスとゴングに掲載された記事を観て、
試合後には敗れた田上が、スタミナが切れてダメージが足に来てなかなか起きれない姿を尻目にしながら超世代軍が退場した後、
自然発生したゼンニッポンコールに感動したのか、目を潤ませながら『オー!』を連発して興行を締めた鶴田さんの雄姿は、ノーカット版では放送されたのだろうか?
そして、カード的には当時の定番カードながらも、内容はどれぐらい定番の域を超越していたのか?
というのが、当時は凄く気になってたんですよね。
そんな流れがあって観たこの試合。
一番印象に残った事。
かなりベタなアレですが、実況の若林さんの喋りこそ変わってはいないけど、
京平さんを含めリング上の選手は皆若かった!これには素直にびっくり。
渕の動きでさえ躍動感があったもんなぁ(笑)
これだけデカい選手達の動きが良かったら、そりゃ新規のプロレスファンも増えますよ。
でも、この当時増えた熱いファンは、皆何処に行ったんや!?って話になりますが、それについてはわざとスルーしときます(苦笑)
次に印象に残ったのは…
鶴田さん。
今にして思えば、鶴田さんにとっては、この年の春が存在感と実力の両方の面で最後のピークだったのかも知れませんね。
この年のチャンピオンカーニバルでは三冠王者として愛知大会でハンセンを下して優勝して、
直後のシリーズ最終戦・武道館大会では三沢選手の挑戦を返り撃ち。
試合後にはコーナーに上って『オー!』を連発して、終始ミサワコールを送っていた観客さえも掌に乗せた事で、
完全無欠のエースである事を証明した、怪物の如き強さでした。
武道館直後のファン感謝デーでも、バックドロップをはじめとする大技は全く使わなかったものの、それでも存在感は変わらず。
それには感心しましたね。
そんな鶴田さんに全力でぶつかっていき、そして跳ね返されつつも立ち向かう超世代軍はカッコ良かった。
田上はやっぱり不恰好だし、打たれ弱い場面を見せながらも、この当時は川田というライバルがいたお陰で、要所要所でやたら気合いが入っていたよなぁ…
んん〜、これはやっぱり物凄い試合でした。
天龍がSに移籍して、鶴田さんが長期入院するまでの全日本プロレスの時代に確かに存在した、独自の熱さの集大成の試合だったのでしょうか。
さっき書いた試合後のやりとりが、カメラには収められていなかった事“だけ”は残念ですが、それでも満足。
とにかくいいもんを観れました。
G+さんありがとう、という事で。
最後に、この試合の数週間後に発売された週刊プロレスの表紙では、下の画像の様なコピーが踊っていましたね。懐かしい…
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僕は、基本的に昔のプロレスの映像はあまり観ない様にしています。
観たとしても、この場で積極的には取り上げたくないんですよね。
何というか…
それなりに歳はとってしまったけど、
『昔のプロレスは良かった』
で終わってしまうベタな文章を何回もブログに書くほど歳を取ってないぞ・だって、現在進行形のプロレスだって面白いやろ?みたいな感じで。
大体、今も昔もプロレスというジャンルは素晴らしいもんなんやから…ね。
まぁ、前田日明vsアンドレは観た事がなかったし、あーいうムチャクチャな内容だったから、こんな風にあーだこーだ書きましたが、これは例外と受けとめて下さい(苦笑)
それで、本題…
何故この試合を観たのか?
日テレの全日本プロレス中継は60分枠だったのですが、メインだったこの試合は50分間もやってしまったので、
通常放送では他の試合も放送必要があり、メインながらも編集されまくりの状態で放送されたから、後日特別にプロレス特番の扱いでノーカット放送されたんですよね。
当時は、全日本プロレス中継というソフトが日本テレビからそれだけ高評価されていた訳です。
ファン感謝デーとは別の回ですが、深夜ながらも福沢アナが番組中にキャンペーンをやって、視聴率10%達成したという快挙もあったっけなぁ…
ところが。
そのノーカット放送特番は、残念ながら僕の地元では放送されず(爆)
僕の友達は、若気の至りで地元のテレビ局に抗議の電話をするって言っていたぐらいにショックを受けた思い出がありましてですねぇ。
当時高校3年生だった僕は、クラスにいた数少ないプロレス好きの仲間らと、当時の週刊プロレスとゴングに掲載された記事を観て、
試合後には敗れた田上が、スタミナが切れてダメージが足に来てなかなか起きれない姿を尻目にしながら超世代軍が退場した後、
自然発生したゼンニッポンコールに感動したのか、目を潤ませながら『オー!』を連発して興行を締めた鶴田さんの雄姿は、ノーカット版では放送されたのだろうか?
そして、カード的には当時の定番カードながらも、内容はどれぐらい定番の域を超越していたのか?
というのが、当時は凄く気になってたんですよね。
そんな流れがあって観たこの試合。
一番印象に残った事。
かなりベタなアレですが、実況の若林さんの喋りこそ変わってはいないけど、
京平さんを含めリング上の選手は皆若かった!これには素直にびっくり。
渕の動きでさえ躍動感があったもんなぁ(笑)
これだけデカい選手達の動きが良かったら、そりゃ新規のプロレスファンも増えますよ。
でも、この当時増えた熱いファンは、皆何処に行ったんや!?って話になりますが、それについてはわざとスルーしときます(苦笑)
次に印象に残ったのは…
鶴田さん。
今にして思えば、鶴田さんにとっては、この年の春が存在感と実力の両方の面で最後のピークだったのかも知れませんね。
この年のチャンピオンカーニバルでは三冠王者として愛知大会でハンセンを下して優勝して、
直後のシリーズ最終戦・武道館大会では三沢選手の挑戦を返り撃ち。
試合後にはコーナーに上って『オー!』を連発して、終始ミサワコールを送っていた観客さえも掌に乗せた事で、
完全無欠のエースである事を証明した、怪物の如き強さでした。
武道館直後のファン感謝デーでも、バックドロップをはじめとする大技は全く使わなかったものの、それでも存在感は変わらず。
それには感心しましたね。
そんな鶴田さんに全力でぶつかっていき、そして跳ね返されつつも立ち向かう超世代軍はカッコ良かった。
田上はやっぱり不恰好だし、打たれ弱い場面を見せながらも、この当時は川田というライバルがいたお陰で、要所要所でやたら気合いが入っていたよなぁ…
んん〜、これはやっぱり物凄い試合でした。
天龍がSに移籍して、鶴田さんが長期入院するまでの全日本プロレスの時代に確かに存在した、独自の熱さの集大成の試合だったのでしょうか。
さっき書いた試合後のやりとりが、カメラには収められていなかった事“だけ”は残念ですが、それでも満足。
とにかくいいもんを観れました。
G+さんありがとう、という事で。
最後に、この試合の数週間後に発売された週刊プロレスの表紙では、下の画像の様なコピーが踊っていましたね。懐かしい…
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