先日はですね。映画『ハリー・ポッターと死の秘宝PART2』を観てきました。
今回はその感想を書いていきましょう。
ピエルトータム ロコモーター。
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≪以下ネタバレ注意≫
今回はその感想を書いていきましょう。
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ハリー・ポッターも、無事に大円団を迎えましたね。
しかし、言いたい事はいろいろありまして。
観る側がそこまで気にしていなかった、魔王のごつい杖の所有者が転々と変わっていった事が魔王打倒の直接のキッカケになった事で、
ホグワーツで長年学んだ事はそこまで意味が無かった感があったり、
あれだけ引っ張った大蛇がロンの活躍!ではなく、よもやの不意打ちの一太刀!で倒されたり、
努力・友情・勝利を重視していた(?)ハリー・ポッターの世界らしからぬ わかりにくい一捻りは、いただけないものがあった。
まぁ、最後にその杖を捨てた事で、世界観の維持の面ではプラマイゼロになったという見方もできない事はないけど、ちょっと…ね。
ホグワーツでの合戦のシーンの映像自体はなかなか頑張っていたと思いますが、
時間帯が夜中心だった事もあり、魔王が倒されて粉々になって破片が宙を舞い続けるシーン以外3D映画の醍醐味がなかったのも、違和感があった。
また『そして19年後』の世界での“つづき”もあるかも的空気を出し方は あざとかったなぁ、と。
当初はどう見ても少年少女だった主要キャストの皆さんが、完結に向けて大人になっていくリアルな時代の流れを、
老けメイクを念入りにさせてまで(ハーマイオニーはそうでも無かった気はするけど)半ばギャグにしながら表現したセンスは、苦笑いするしかない。
ぶっちゃけた話、僕の中でこの手の映画は広げた風呂敷の畳み方も含めて二十世紀少…
もとい『ロード・オブ・ザ・リング』が最高傑作だと思ってまして、ハリー・ポッターが完結してもその評価は揺るがない訳ですが、
それでも、これはこれでハリー・ポッターらしくファンタジーと勧善懲悪の世界観を守りつつ、風呂敷を畳めれたんじゃないでしょうか。
PART1を観て不安点になっていた作品のテンポは及第点を出していい事を加味したら、全体的に良かった部類に入れていいと思いますね。
今にして思えば。
結果ガセでしたが、原作が発売された当時、確か
『主要登場人物が何人か死ぬらしい』
という報道があって、僕は相変わらず原作は読まなかったから素直にそれを信じていたもんだから、
分霊箱が破壊されていく度に
『あぁぁぁ、ハリーが死ぬぅ〜』
となったし、
ロンとハーマイオニーがモーゼの十械みたいに水がバーッと割れた後でアレするシーンなんて、
『まさかロンが、クライマックスではハリーの身代わりになって死んだりするのかぁぁぁぁ』
となって、胸が締め付けられる様な思いをしましたが、
結局あーいう方向に行った事で、やっぱり主要キャストはできるだけ死なない方がベターだと思った次第。
あと印象に残ったのは、ハリーが顔を突っ込んで、スネイプの秘密が明かされていったシーン。
きっと他の方も多分そーなんでしょうけどね。
シリーズ全体を通して徹底して怪しい・曲者に描かれていたスネイプが大蛇に簡単にアレされたシーンは『えっ?』となりましたし、
わざわざ涙を受けとらせるシーンも、今にして思えば見事な伏線になってましたが、
それでも誰も想像できないぐらいに?スネイプ絡みのサイドストーリーに力が入っていたのは凄かった。
スネイプって口が堅い、命令を守るええ奴やん、みたいな。
原作者にも演じた役者さんにも、スネイプというキャラにあそこまで思い入れがあったのか!?と驚かされたぐらい。圧倒されましたよ。
それと同時に、ドラコやハグリットは原作者の中では『どーでもええ存在』になっていたっぽいのは笑いましたが…
とりあえずこの文章を締めますか。
ラドクリフら三人を演じた役者さんは、この先ハリー・ポッターの価値観を汚さない様な芸能活動をしていってほしいし、
ハリー・ポッターが完結した事が、慢性的な映画の大作の続編ブームに対する、ひとつのターニングポイントになってほしいものです。はい。
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しかし、言いたい事はいろいろありまして。
観る側がそこまで気にしていなかった、魔王のごつい杖の所有者が転々と変わっていった事が魔王打倒の直接のキッカケになった事で、
ホグワーツで長年学んだ事はそこまで意味が無かった感があったり、
あれだけ引っ張った大蛇がロンの活躍!ではなく、よもやの不意打ちの一太刀!で倒されたり、
努力・友情・勝利を重視していた(?)ハリー・ポッターの世界らしからぬ わかりにくい一捻りは、いただけないものがあった。
まぁ、最後にその杖を捨てた事で、世界観の維持の面ではプラマイゼロになったという見方もできない事はないけど、ちょっと…ね。
ホグワーツでの合戦のシーンの映像自体はなかなか頑張っていたと思いますが、
時間帯が夜中心だった事もあり、魔王が倒されて粉々になって破片が宙を舞い続けるシーン以外3D映画の醍醐味がなかったのも、違和感があった。
また『そして19年後』の世界での“つづき”もあるかも的空気を出し方は あざとかったなぁ、と。
当初はどう見ても少年少女だった主要キャストの皆さんが、完結に向けて大人になっていくリアルな時代の流れを、
老けメイクを念入りにさせてまで(ハーマイオニーはそうでも無かった気はするけど)半ばギャグにしながら表現したセンスは、苦笑いするしかない。
ぶっちゃけた話、僕の中でこの手の映画は広げた風呂敷の畳み方も含めて二十世紀少…
もとい『ロード・オブ・ザ・リング』が最高傑作だと思ってまして、ハリー・ポッターが完結してもその評価は揺るがない訳ですが、
それでも、これはこれでハリー・ポッターらしくファンタジーと勧善懲悪の世界観を守りつつ、風呂敷を畳めれたんじゃないでしょうか。
PART1を観て不安点になっていた作品のテンポは及第点を出していい事を加味したら、全体的に良かった部類に入れていいと思いますね。
今にして思えば。
結果ガセでしたが、原作が発売された当時、確か
『主要登場人物が何人か死ぬらしい』
という報道があって、僕は相変わらず原作は読まなかったから素直にそれを信じていたもんだから、
分霊箱が破壊されていく度に
『あぁぁぁ、ハリーが死ぬぅ〜』
となったし、
ロンとハーマイオニーがモーゼの十械みたいに水がバーッと割れた後でアレするシーンなんて、
『まさかロンが、クライマックスではハリーの身代わりになって死んだりするのかぁぁぁぁ』
となって、胸が締め付けられる様な思いをしましたが、
結局あーいう方向に行った事で、やっぱり主要キャストはできるだけ死なない方がベターだと思った次第。
あと印象に残ったのは、ハリーが顔を突っ込んで、スネイプの秘密が明かされていったシーン。
きっと他の方も多分そーなんでしょうけどね。
シリーズ全体を通して徹底して怪しい・曲者に描かれていたスネイプが大蛇に簡単にアレされたシーンは『えっ?』となりましたし、
わざわざ涙を受けとらせるシーンも、今にして思えば見事な伏線になってましたが、
それでも誰も想像できないぐらいに?スネイプ絡みのサイドストーリーに力が入っていたのは凄かった。
スネイプって口が堅い、命令を守るええ奴やん、みたいな。
原作者にも演じた役者さんにも、スネイプというキャラにあそこまで思い入れがあったのか!?と驚かされたぐらい。圧倒されましたよ。
それと同時に、ドラコやハグリットは原作者の中では『どーでもええ存在』になっていたっぽいのは笑いましたが…
とりあえずこの文章を締めますか。
ラドクリフら三人を演じた役者さんは、この先ハリー・ポッターの価値観を汚さない様な芸能活動をしていってほしいし、
ハリー・ポッターが完結した事が、慢性的な映画の大作の続編ブームに対する、ひとつのターニングポイントになってほしいものです。はい。
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コメント
コメント一覧 (1)
最初の頃はそれこそ子供向けファンタジーだったのに。
最後のほうじゃもういっぱしの大人のファンタジーとしてROTL並みの話の広がりになってたし。
私は映画だけがハリポタの世界の全てなんで、この完結のしかたに大満足でした^^