今回は、木村浩一郎選手の突然の訃報を聞いて思った事を…

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※東スポweb ヒクソンと戦った格闘家・木村浩一郎さん死去

僕の中で木村選手といえば、まずはサブミッションアーツレスリング所属としてリングスの初期に出ていた選手…なんですよね。

大学生と兼任していたのを知ったのは後の話です。

NKホールでの長井戦なんて、時間が長過ぎたと言われたら明らかに長過ぎましたが(汗)リングス史に残る消耗戦だったよなぁ。

ユー何とかに動画が上がっていたら貼り付けたかったぐらい。

とりあえずは、当時ワウワウのリングス中継を観ながら

『折角サブミッションを名乗る競技で頑張ってるんだからヴォルク・ハンとやらせたらええのに』

と妄想マッチメークをしたもんだし、

もし実現していたら一足早く田村潔司vsハンを彷彿とさせる回転体が見られていたのかも…

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そんな事を考えながらウィキペディアを眺めていたら、正道会館の格闘技オリンピック興行でリングスルールで前田日明と闘っていたのを思いだし、

そうかと思ったらW★ingに出てグレート・ウォージョ(これは検索したら動画があった 汗)や関川さんとやっていて、当時の週プロで見てびっくりさせられたのを思い出した。

何と言いますか。

前田日明とヒクソンの両方と闘ったのは高田延彦と船木がいますが、そこから関川さんとも闘った経歴を持つのは、後にも先にも木村選手だけになる事でしょう。

このレア度合はもっと評価されてもいい気はする。

ほんでもって木村選手は更に黎明期の女子の総合格闘技に携わったり、タイガー・ジェット・シンジュクになったりwjに出たり…

スーパー宇宙パワーを抜きにしても、鈴木健txtさんによる木村選手の追悼コラムの中の一節…

まだ“振り幅”などという言い回しが定着するよりもずっと前から、木村さんはプロレスと格闘技の間を流浪する一匹狼だった

という大概な紹介の仕方も納得させられる、唯一無二と言っていいぐらい不思議な選手でしたよね。

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享年44歳となると当然『まだ若いのに…』と言わざるを得ない訳ですが、よくよく考えてみれば木村選手は、

己の腕っぷしの強さありきでシュートとプロレスを行ったり来たりし過ぎて、

無意識のうちに同年代のレスラーの誰よりも太く短く・生き急いでしまったのかな…

とも思った次第です。

ここからはスーパー宇宙パワーについて。

日テレ伝説のプロレス番組『コロッセオ』の中でDDTが紹介されていて、そこで初めて宇宙語を聴いた時には、これまたちょっとした衝撃を受けた。

DDTの新人のデビュー戦の試合後の儀式は週プロで見て知ってましたが、

木村選手って強さだけではなく、あんな声色を使いこなす絵心もあったんや、みたいな感じで(笑)

今にして思えばDDT両国でのウエポンランブルでもマイクでカマしてほしかったですね。

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ここからちょっとだけ話は逸れて。

昨夜プロレスBARジャッジメントで、店主の佃さんと木村選手の話をしてきたんですけど、

佃さんは木村選手による“興行破り”をたまたま目撃してしまったそうな。

皆、木村選手が乱入してきたのはわかったけど、とにかく訳がわからなかったらしい。

まぁ、そらそうやろなぁ。

でも、前記の鈴木健txtさんの追悼コラムでも書かれていた某選手が不義理を…

という理由を後から聞いたら、納得はさせられたとか。

一応、木村選手と剛さんは和解はしたとはいえ、こんな無茶苦茶な事をやらかしてもプロレス業界から干されなかったのも、後にも先にも木村選手だけになるんやろなぁ。

やっぱり不思議な選手やなぁ…

最後に、木村浩一郎選手のご冥福をお祈りいたします。

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