今回は、先々週に観てきた映画『ザ・ウォーク』3D字幕版の感想を書いていきましょう。
まだ3歩残ってた…

※PC版ホームページ
≪以下ネタバレ注意≫
まだ3歩残ってた…

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逮捕上等で完成間近のWTCに忍び込んで屋上に上がり、
ビルとビルの間にワイヤーを張って綱渡りをやった末に“タワーに命を吹き込んでしまった”主人公・フィリップの。
“狂気”と“アート”の境界線を、本編終盤WTCの屋上に警官が駆け付けてからのフィリップの行動の様に、
ヒョイヒョイと行ったり来たりするデタラメながらも深い生き様を、
なかなかに心臓に悪い映像の数々と、何となく何処かで聴いた覚えがあるBGMでじわじわと盛り上げていく構成がいちいちカッコいいという、
ロバート・ゼメキスらしいオリジナリティー溢れる映画だったんじゃないでしょうか。面白かったです。

ただ悲しいかな。
アメリカでの上映前の試写会で観た人の評判は良いにも関わらず、
高所の映像のクオリティが高過ぎたのが裏目に出て観るのを敬遠する人が多く、観客動員では苦戦している…
という前情報が、残念ながら日本公開時にも適用されてしまったらしく。
金曜日の15時台だったとはいえ、僕が観た回なんて公開一週目だったにも関わらずまさかの貸し切り状態だったんですよね。
実際に見終えて、これは余計に勿体ないなぁ、と思ってしまった。

それではここからは、見終えて1週間以上経って、敢えて何故集客面があまりよろしくないのか?を思い返してみれば…ですね。
予告編であれだけ狂気狂気と煽りながらも、フィリップを演じたジョセフ・ゴードン=レヴィットの堺雅人っぽい雰囲気が強くて、
狂気性があまり伝わってこなかった印象があるのは ど〜なんかなぁ〜と思った(これは僕だけかもしれませんが)
また、恋人・アニーはそれほどでもなかったものの、他の『共犯者たち』とサーカス団の座長のパパなんて、
どいつもこいつも結構イカれていたんやから、フィリップと出会うまでの半生ももうちょっと掘り下げてもらって、作品のキモの一つにまで昇華させてほしかったですねぇ。
もっとも、マリファナ中毒のアンちゃんは掘り下げなくて正解だったのかもしれない(苦笑)

それと、今作の流れ自体がフィリップ自らが自分の半生と“クーデター”を回想していくというものだったので、
フィリップ目線を軸にする事に徹したロバート・ゼメキス監督の方針もわからん事は無いのですが、
“共犯者たち”がフィリップの意思の強さと反比例するが如く、緩〜く・何となくの過程を経て増えていくところと、
“共犯者たち”が集結してからのワイヤーを張るまでの作戦の(当時としては)かなり緻密なところのギャップの描き方なんかは、
観ていて唸らされたのも事実なのでやろうと思えばやれたんとちゃうかなぁ…でも、そこにこだわったら時間が長くなり過ぎるのかなぁ…映画って難しいわなぁ…
さてさて。
敗因?ばかり書くのも気がひけるので、ここからは今作で特に僕の心の琴線に響いたところを書いていきますとですね。

まずは、最初から最後まで、冷静に・淡々と狂気と芸術を同列に並べていて、
WTCの間をワイヤーで行ったり来たりする内に悟りの境地に達していたであろうフィリップの発するカッコ良さったらもう、たまらんかったですね(笑)
万が一邦画でこーいう映画を作るならば堺雅人しか演じられんやろーと思ったぐらいで…
もちろん作戦決行前に釘を踏んづけて大ピンチになるのは、
仮に実話の通りだったとしても
『それはちょっとなぁ…』
的違和感はありましたが、作戦前夜の棺桶に釘を打つシーンがよく出来ていたから、プラスマイナスゼロにしておきましょう。
もう一つ挙げれば、フィリップが屋上で警官に身柄を確保されて以降の、通りすがりのニューヨーク市民はもちろんのこと、
警官やビル建築の責任者までもがフィリップの快挙?を称える下りになるでしょうか。
皆が皆カッコいい…いや、オシャレに見えてしびれましたね。日本じゃ、まずああはいかないでしょうし…ね。
いい加減長くなってきたので、今回はこんな感じで終わりましょう。
指を挟むな…

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ビルとビルの間にワイヤーを張って綱渡りをやった末に“タワーに命を吹き込んでしまった”主人公・フィリップの。
“狂気”と“アート”の境界線を、本編終盤WTCの屋上に警官が駆け付けてからのフィリップの行動の様に、
ヒョイヒョイと行ったり来たりするデタラメながらも深い生き様を、
なかなかに心臓に悪い映像の数々と、何となく何処かで聴いた覚えがあるBGMでじわじわと盛り上げていく構成がいちいちカッコいいという、
ロバート・ゼメキスらしいオリジナリティー溢れる映画だったんじゃないでしょうか。面白かったです。

ただ悲しいかな。
アメリカでの上映前の試写会で観た人の評判は良いにも関わらず、
高所の映像のクオリティが高過ぎたのが裏目に出て観るのを敬遠する人が多く、観客動員では苦戦している…
という前情報が、残念ながら日本公開時にも適用されてしまったらしく。
金曜日の15時台だったとはいえ、僕が観た回なんて公開一週目だったにも関わらずまさかの貸し切り状態だったんですよね。
実際に見終えて、これは余計に勿体ないなぁ、と思ってしまった。

それではここからは、見終えて1週間以上経って、敢えて何故集客面があまりよろしくないのか?を思い返してみれば…ですね。
予告編であれだけ狂気狂気と煽りながらも、フィリップを演じたジョセフ・ゴードン=レヴィットの堺雅人っぽい雰囲気が強くて、
狂気性があまり伝わってこなかった印象があるのは ど〜なんかなぁ〜と思った(これは僕だけかもしれませんが)
また、恋人・アニーはそれほどでもなかったものの、他の『共犯者たち』とサーカス団の座長のパパなんて、
どいつもこいつも結構イカれていたんやから、フィリップと出会うまでの半生ももうちょっと掘り下げてもらって、作品のキモの一つにまで昇華させてほしかったですねぇ。
もっとも、マリファナ中毒のアンちゃんは掘り下げなくて正解だったのかもしれない(苦笑)

それと、今作の流れ自体がフィリップ自らが自分の半生と“クーデター”を回想していくというものだったので、
フィリップ目線を軸にする事に徹したロバート・ゼメキス監督の方針もわからん事は無いのですが、
“共犯者たち”がフィリップの意思の強さと反比例するが如く、緩〜く・何となくの過程を経て増えていくところと、
“共犯者たち”が集結してからのワイヤーを張るまでの作戦の(当時としては)かなり緻密なところのギャップの描き方なんかは、
観ていて唸らされたのも事実なのでやろうと思えばやれたんとちゃうかなぁ…でも、そこにこだわったら時間が長くなり過ぎるのかなぁ…映画って難しいわなぁ…
さてさて。
敗因?ばかり書くのも気がひけるので、ここからは今作で特に僕の心の琴線に響いたところを書いていきますとですね。

まずは、最初から最後まで、冷静に・淡々と狂気と芸術を同列に並べていて、
WTCの間をワイヤーで行ったり来たりする内に悟りの境地に達していたであろうフィリップの発するカッコ良さったらもう、たまらんかったですね(笑)
万が一邦画でこーいう映画を作るならば堺雅人しか演じられんやろーと思ったぐらいで…
もちろん作戦決行前に釘を踏んづけて大ピンチになるのは、
仮に実話の通りだったとしても
『それはちょっとなぁ…』
的違和感はありましたが、作戦前夜の棺桶に釘を打つシーンがよく出来ていたから、プラスマイナスゼロにしておきましょう。
もう一つ挙げれば、フィリップが屋上で警官に身柄を確保されて以降の、通りすがりのニューヨーク市民はもちろんのこと、
警官やビル建築の責任者までもがフィリップの快挙?を称える下りになるでしょうか。
皆が皆カッコいい…いや、オシャレに見えてしびれましたね。日本じゃ、まずああはいかないでしょうし…ね。
いい加減長くなってきたので、今回はこんな感じで終わりましょう。
指を挟むな…

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コメント
コメント一覧 (1)
なんやったら、『ピンポン』コンビで、窪塚洋介も同じ綱渡り仲間の役で二人で挑戦!という展開キボン。
ま、窪塚、絶対落ちますけどねw
で、あの高さから落ちたのに、また奇跡的に助かる!っちゅうのも面白いかと。(あ、ぜんっぜん趣旨変わってまうかーーーw)