先週、週刊プロレスの通算1500号が発売されましたね。
個人的には価格が250円で『ギブアップ・ブギ』が無駄にページをとっていた頃から買っていて、
されど大半は既に処分している週刊プロレスについて書いてみましょう…
※プレイヤーズTV PC版ホームページより
個人的には価格が250円で『ギブアップ・ブギ』が無駄にページをとっていた頃から買っていて、
されど大半は既に処分している週刊プロレスについて書いてみましょう…
※プレイヤーズTV PC版ホームページより
今回の最大のサプライズは、競馬ブックのTMではない方の松本晴夫さんを伴ってのターザン山本氏・一夜復活になるのでしょうか。
初代の杉山編集長に対する敬意が感じられなかったのも大概でしたが…
昔、週刊プロレス編集長としての全盛期に、浅草キッドの博士がラジオで
『ネタっぽく喋りますけど、ベースボールマガジン社の経費の使途不明金を調べたら、ターザンの馬券の負けた金額がほぼ一致する筈なんですよ。
週刊プロレスが売れてるからって、それぐらいムチャクチャやってますから。
早く内部監査をやらないと会社が傾きますよ(笑)』
と言ってた事があったんですけど、
もしかしてその説は本当だったのか?と思わせるぐらいに、ベースボールマガジン社を退社してから距離をあけられていましたし、
週刊ゴングのレギュラーになる等ベースボールマガジン社に喧嘩を売っている行動もあったので、本当驚きました。
まぁ、週刊プロレスしか買っていなかったもんで、ター山氏のゴング参戦は結果的にはゴング編集部の足を引っ張っていたかもしれない訳ですが…
さてさて。
今回ター山氏からの寄稿された文章自体は、ザッツレスラーにしてもモバイルの『1500号への道』にしても、
ゴーストが書いたんちゃうか?
とも思えるレベルの完成度で、
あ〜、すっかり老いぼれて生命力も感じなくなったし、物凄く情をかけられる形でもいいから、週刊プロレスには帰れるものなら帰りたかったんやなぁ…
とは思ってしまい、シミジミしましたけど、
今回に関しては、一歩間違えたら剛竜馬選手と差が無い状況の筈なのを察したベースボールマガジン社が、情けをかけて出禁状態を一時解除した印象がありまして…
とにかく、生きているのが確認できて良かったです(爆)
他に思ったのは…
携帯とインターネットが普及する以前には、べースボールマガジン社も込みでかなり力を入れていた筈の、
テレビ・ラジオとのメディアミックスについて多少は触れるのが筋なんちゃうのん?というのと、
香山リカさんの弟さんは別に要らんやろ?っていうのと、
人生相談を復活させるなら藤原組長の『リングに訊け!』やろ?っていうぐらいですかね。
他は、まぁこんなもんでしょう。
スペシャル対談も、コジのが気持ちは若くありたいとちょっと無理をしてるのが伝わってきて、妙に面白かったですし(笑)
ここからは、僕の中の『思い出の週刊プロレス』的な文章を勝手に書いていきましょう…
僕の中ではですね、週刊プロレス(もしくはター山氏)がUWFのムーヴメントに憑りつかれて積極的に取り上げていた事で、
UWF=週刊プロレス
みたいに思っていて、その内容そのものに対しても一喜一憂させられてました。
もし、当時の週刊プロレスを今の歳で読んでいても、絶対そーいう事はないやろなぁ。
それで、週刊プロレスの思い出の表紙は自然とUWF絡みになるんですよね。
そんでもって、これを書きながら頭に浮かんだのは、こちらです…
表紙の写真だけなら、何のこっちゃかわからんでしょう?(苦笑)
これは14年前のちょうど今頃やったっけなぁ。
若き日の田村潔司が様々な大人の事情(詳細は各自調査)があって、
95年の12月にKー1名古屋大会のリングでパトリック・スミスとアルティメットルールで闘ったんですけど、
※ユー何とかより
その試合の前に、鈴木健ちゃんがUインターの道場を訪ねて聞き手になったロングインタビューが掲載された号でして…
肝心な質問に対しては
『流れです』
というのを強調して答えていて、それ以外の部分は沈黙ばかりの歪なインタビューだったんですよね。
で、この表紙はその歪さを逆手にとって、当時の週刊プロレスのそれと比べても歪っぽい方向にむいたレイアウトになったという代物です。
何かこう、今観ても『何やよくわからん』ながらも、やたらカッコいいというか…
まぁ、田村潔司が肝心な質問に対して『流れです』を口にするのは、
14年経った今もあまり変わっていない気もしますがそれはええとして?
あとは、僕がネットのプロレスの世界に手を出して、のめり込み始めた10年前。
当時非常にお世話になっていた はるこふさんの掲示板で
・小橋建太がベイダーに勝って、初めて三冠ヘビー級王座を奪取
・“伝説の入場シーン”を経て、田村潔司がヘンゾ・グレイシーに快勝
という二つの大ネタのうちどちらが表紙になるか?という話題で、意見が真っ二つに分かれた事がありまして。
で、その結果が…
でした。
今考えたらプロレスの週刊誌が二つ“も”あった時代なので、こーいうのは勝ち負けの問題でもないでしょうし、
これまた同じ号に掲載された『WXによる後楽園ホールボヤ騒ぎ』の方が悪い意味でインパクトが強かったから、笑い話にはなりますが良い思い出になってます。
こんな感じですかね。
遅くなりましたが、週刊プロレス1500号到達おめでとうございます、という事で。
皆様の中で『俺だけの週刊プロレスの思い出』とかもありましたら、よろしくお願いします(笑)
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初代の杉山編集長に対する敬意が感じられなかったのも大概でしたが…
昔、週刊プロレス編集長としての全盛期に、浅草キッドの博士がラジオで
『ネタっぽく喋りますけど、ベースボールマガジン社の経費の使途不明金を調べたら、ターザンの馬券の負けた金額がほぼ一致する筈なんですよ。
週刊プロレスが売れてるからって、それぐらいムチャクチャやってますから。
早く内部監査をやらないと会社が傾きますよ(笑)』
と言ってた事があったんですけど、
もしかしてその説は本当だったのか?と思わせるぐらいに、ベースボールマガジン社を退社してから距離をあけられていましたし、
週刊ゴングのレギュラーになる等ベースボールマガジン社に喧嘩を売っている行動もあったので、本当驚きました。
まぁ、週刊プロレスしか買っていなかったもんで、ター山氏のゴング参戦は結果的にはゴング編集部の足を引っ張っていたかもしれない訳ですが…
さてさて。
今回ター山氏からの寄稿された文章自体は、ザッツレスラーにしてもモバイルの『1500号への道』にしても、
ゴーストが書いたんちゃうか?
とも思えるレベルの完成度で、
あ〜、すっかり老いぼれて生命力も感じなくなったし、物凄く情をかけられる形でもいいから、週刊プロレスには帰れるものなら帰りたかったんやなぁ…
とは思ってしまい、シミジミしましたけど、
今回に関しては、一歩間違えたら剛竜馬選手と差が無い状況の筈なのを察したベースボールマガジン社が、情けをかけて出禁状態を一時解除した印象がありまして…
とにかく、生きているのが確認できて良かったです(爆)
他に思ったのは…
携帯とインターネットが普及する以前には、べースボールマガジン社も込みでかなり力を入れていた筈の、
テレビ・ラジオとのメディアミックスについて多少は触れるのが筋なんちゃうのん?というのと、
香山リカさんの弟さんは別に要らんやろ?っていうのと、
人生相談を復活させるなら藤原組長の『リングに訊け!』やろ?っていうぐらいですかね。
他は、まぁこんなもんでしょう。
スペシャル対談も、コジのが気持ちは若くありたいとちょっと無理をしてるのが伝わってきて、妙に面白かったですし(笑)
ここからは、僕の中の『思い出の週刊プロレス』的な文章を勝手に書いていきましょう…
僕の中ではですね、週刊プロレス(もしくはター山氏)がUWFのムーヴメントに憑りつかれて積極的に取り上げていた事で、
UWF=週刊プロレス
みたいに思っていて、その内容そのものに対しても一喜一憂させられてました。
もし、当時の週刊プロレスを今の歳で読んでいても、絶対そーいう事はないやろなぁ。
それで、週刊プロレスの思い出の表紙は自然とUWF絡みになるんですよね。
そんでもって、これを書きながら頭に浮かんだのは、こちらです…
表紙の写真だけなら、何のこっちゃかわからんでしょう?(苦笑)
これは14年前のちょうど今頃やったっけなぁ。
若き日の田村潔司が様々な大人の事情(詳細は各自調査)があって、
95年の12月にKー1名古屋大会のリングでパトリック・スミスとアルティメットルールで闘ったんですけど、
※ユー何とかより
その試合の前に、鈴木健ちゃんがUインターの道場を訪ねて聞き手になったロングインタビューが掲載された号でして…
肝心な質問に対しては
『流れです』
というのを強調して答えていて、それ以外の部分は沈黙ばかりの歪なインタビューだったんですよね。
で、この表紙はその歪さを逆手にとって、当時の週刊プロレスのそれと比べても歪っぽい方向にむいたレイアウトになったという代物です。
何かこう、今観ても『何やよくわからん』ながらも、やたらカッコいいというか…
まぁ、田村潔司が肝心な質問に対して『流れです』を口にするのは、
14年経った今もあまり変わっていない気もしますがそれはええとして?
あとは、僕がネットのプロレスの世界に手を出して、のめり込み始めた10年前。
当時非常にお世話になっていた はるこふさんの掲示板で
・小橋建太がベイダーに勝って、初めて三冠ヘビー級王座を奪取
・“伝説の入場シーン”を経て、田村潔司がヘンゾ・グレイシーに快勝
という二つの大ネタのうちどちらが表紙になるか?という話題で、意見が真っ二つに分かれた事がありまして。
で、その結果が…
でした。
今考えたらプロレスの週刊誌が二つ“も”あった時代なので、こーいうのは勝ち負けの問題でもないでしょうし、
これまた同じ号に掲載された『WXによる後楽園ホールボヤ騒ぎ』の方が悪い意味でインパクトが強かったから、笑い話にはなりますが良い思い出になってます。
こんな感じですかね。
遅くなりましたが、週刊プロレス1500号到達おめでとうございます、という事で。
皆様の中で『俺だけの週刊プロレスの思い出』とかもありましたら、よろしくお願いします(笑)
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コメント
コメント一覧 (5)
ちなみに1500号はまだ読んでません
黒歴史ですね(^^;)
ついでに言えば、プラム麻里子が亡くなったときには追悼文が読者コーナーで採用されましたよ。
うれし哀しの思い出です(泣笑)
週プロ1500回記念祭の記事が載っていたので。。。
私は写ってなかったけど。
買うのが恥ずかしかったです。
あとは取材拒否くらって活字のみの新日本東京ドームの増刊号を出したこと。
「さらばターザン」って今思うとすごい表紙。
プラムさんがお亡くなりになった事で、私自身が載る記事の原稿が、一週飛びました(笑)
今回ので「ザッツ・レスラー」が、もいっかい読めたのはうれしかったです。