今回は『あまちゃん』最終週を観た感想を書いていきましょう。
しゅっぱーつ…
※PC版ホームページ
≪以下ネタバレ注意≫
しゅっぱーつ…
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アキの恋の行方等、伏線が全て回収された訳ではないけど、
最終週における各イベントの圧倒的な演出と、各回を見終わった後の多幸感はテレビドラマの範疇を越えたものがあって、
ホームページに掲載されていたチーフ演出の井上さんのインタビューをじっくり読んだ後に見直したら、更に心の琴線に響きまくった。
しかも、小泉さんら最後の久慈ロケに参加しなかった役者さんを最終回の前にフェードアウトさせてまで、
最後の最後に恐竜の化石発見の実話を小ネタっぽく押し込んでいたもんだから
『幾ら喜劇でもそこまでやるか!?』
となった。
アマちゃんどころかプロフェッショナル中のプロフェッショナル達が総力を結集して、
エンターテイメントとしてここまで徹底的にやってくれたのにゴチャゴチャ不満を言うてたらバチが当たるでしょ。大団円だったと思う。
個人的には、これまでクドカンが携わった作品を幾つか観てはきましたが『何じゃこの終わり方は!?』というのが幾つかあったし、
現在上映中の『謝罪の王様』もロクでもない終わり方らしいという話も聞いているので、春子さんの
“鈴鹿さんって実は移ろいやすい音程なのではなく、昔からわざと音痴に歌っていたのではないか?”
の疑念じゃないけど
“まさかクドカンって あまちゃんに至るまでの作品ではわざとショッパい終わり方にしていたのではないか?”
と思ったぐらい。
また、劇中鈴鹿さんは海女カフェ以降の東北ツアーでまともに歌う事ができたのか?に関してはスルーされてたけど、
クドカンは あまちゃん以降の作品では あまちゃんの燃え尽き症候群の影響も含めて、ショッパい終わり方の連続になるんとちゃうかなぁ…
とも思ったりもしたけど、現時点ではクドカンへの感謝の思いでいっぱいです。はい。
最終週で一番印象に残ったシーンを挙げるならば。
多分他の方と被りまくりなんでしょうけど、鈴鹿さんリサイタルの生歌一発録りのシーンになりますかね。
ある程度歳をとっている関係で薬師丸ひろ子さんがまともに歌えるのは当然わかってはいましたが、
それでもリサイタルまで堤さんの映画BECK戦法を貫いて、鈴鹿さんの歌声を一切流さなかったので余計に素晴らしさが増したと思う。
思い返せば…
僕が、あまちゃんのストーリーをほとんど理解していない状態で初めて本放送の録画を観た時にやっていたのは、
トシちゃんのそっくりさんが駅に置いていかれた後のお座敷列車のエピソードで、
能年ちゃんと橋本愛のどっちかアキでどっちがユイかすらわからんかったけど、
とにかく楽しそうに二人が歌っていたのが『潮騒のメモリー』。
その時点は如何にもイチ劇中歌に過ぎず特に感じる事はなかった曲が、
ストーリーが進むにつれて登場人物の運命を狂わせた事がわかり、最終的にはあのリサイタルに繋がっていくんやから、
歌は世につれ・世は歌につれが如く、潮騒のメモリーが陰の主役だった様にも錯覚したぐらい。
ついでに書けば、潮騒のメモリー以降も複数のあまちゃんオリジナルの劇中歌が流れてましたが、
良くも悪くもそれらは典型的な劇中歌レベルに終わった事で余計に潮騒のメモリーの凄さが増したと思う。
まぁ、僕のええ加減な記憶を逆回転すれば夏さんの手術中の『いつでも夢を』の合唱も大概“来る”ものがありましたが、それはそれとして(笑)
そうそう。
電車を使ったプロポーズで大吉っつぁんをハメたところも書いておきますかね。
電車の車体にプロポーズの言葉を書くというネタはひょっとしたら過去何らかの作品であったのかも知れませんが、
肝心のプロポーズをする人間が知らないドッキリだったというのは素晴らしい。
あのアキが成長して(?)大吉っつぁんの背中を押すなんて人生って面白い、みたいな(笑)
それと、あれだけの大仕掛けのシーンに参加していながら放送当日まであのネタをネットに流さなかった(ですよね?)久慈ロケのエキストラの皆さんの口の堅さも素晴らしいよなぁ。
ただでさえ田舎者は口が軽い人が多いし、イベントが少ない地域ならば、あんな楽しい事に目の当たりにしたらまず黙っていられないですよね。
これまた感謝、感謝です。
最後に『おしまい』が本当に『おしまい』なのかについて。
とりあえず、ユイが東京に行かないまま終わったのは驚いた。
太巻があーいう上からの言い方をしたから余計に腹を括った感じで、もったいないよなぁ。
アキも、もし例のノートに東京の事が書かれていたならば、太巻が居なくなってからユイの背中をどーん!と押してこその親友やろがって話で(笑)
あっ、ユイはともかく。
一番美しいのは、観た人も含めて誰も傷つかず、観た人それぞれのふわふわっとした『あまちゃんのつづき』のイメージをさせながら、
紅白歌合戦でのワンナイト・スタンドも含め良い思い出として記憶に残り続ける事だとは思う。
しかし、二人がサイリウムを持って畑野トンネルの向こう側へと駆け抜ける名シーンの前に…
クドカン的にはもちろんドラマ自体ではなく、被災地の復興のストーリーはまだまだ続くんだよ、という意味なんでしょうけど、
それでもあんな何回も“明日がある”旨の台詞をクドカンが書いていたら、どーしても期待してしまう。
話はちょっとそれて。
映画『ALLWAYS 3丁目の夕日』の続編の企画が立ち上がった直後には、複数の役者さんが
『無理に続編をやらなくても…』
と出演オファーの返事を一度は渋ったという話もありましたから、
一応原作ありきの3丁目〜でさえそうだったとなると、オリジナルの あまちゃんは、
出演者よりも前にクドカン自身によっぽどのキッカケが無いと、その気にはならんのやろーなぁ。
もちろん、作品の完成度が移ろいやすいクドカンだから、賛否両論・ないしは否の方が圧倒する様なオチでもいいならば、簡単に書いてしまう気はしますが…ねぇ。
こればっかりは、ストーンコールドやないけど『Never say never』であってほしいですね…
おしまい。
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最終週における各イベントの圧倒的な演出と、各回を見終わった後の多幸感はテレビドラマの範疇を越えたものがあって、
ホームページに掲載されていたチーフ演出の井上さんのインタビューをじっくり読んだ後に見直したら、更に心の琴線に響きまくった。
しかも、小泉さんら最後の久慈ロケに参加しなかった役者さんを最終回の前にフェードアウトさせてまで、
最後の最後に恐竜の化石発見の実話を小ネタっぽく押し込んでいたもんだから
『幾ら喜劇でもそこまでやるか!?』
となった。
アマちゃんどころかプロフェッショナル中のプロフェッショナル達が総力を結集して、
エンターテイメントとしてここまで徹底的にやってくれたのにゴチャゴチャ不満を言うてたらバチが当たるでしょ。大団円だったと思う。
個人的には、これまでクドカンが携わった作品を幾つか観てはきましたが『何じゃこの終わり方は!?』というのが幾つかあったし、
現在上映中の『謝罪の王様』もロクでもない終わり方らしいという話も聞いているので、春子さんの
“鈴鹿さんって実は移ろいやすい音程なのではなく、昔からわざと音痴に歌っていたのではないか?”
の疑念じゃないけど
“まさかクドカンって あまちゃんに至るまでの作品ではわざとショッパい終わり方にしていたのではないか?”
と思ったぐらい。
また、劇中鈴鹿さんは海女カフェ以降の東北ツアーでまともに歌う事ができたのか?に関してはスルーされてたけど、
クドカンは あまちゃん以降の作品では あまちゃんの燃え尽き症候群の影響も含めて、ショッパい終わり方の連続になるんとちゃうかなぁ…
とも思ったりもしたけど、現時点ではクドカンへの感謝の思いでいっぱいです。はい。
最終週で一番印象に残ったシーンを挙げるならば。
多分他の方と被りまくりなんでしょうけど、鈴鹿さんリサイタルの生歌一発録りのシーンになりますかね。
ある程度歳をとっている関係で薬師丸ひろ子さんがまともに歌えるのは当然わかってはいましたが、
それでもリサイタルまで堤さんの映画BECK戦法を貫いて、鈴鹿さんの歌声を一切流さなかったので余計に素晴らしさが増したと思う。
思い返せば…
僕が、あまちゃんのストーリーをほとんど理解していない状態で初めて本放送の録画を観た時にやっていたのは、
トシちゃんのそっくりさんが駅に置いていかれた後のお座敷列車のエピソードで、
能年ちゃんと橋本愛のどっちかアキでどっちがユイかすらわからんかったけど、
とにかく楽しそうに二人が歌っていたのが『潮騒のメモリー』。
その時点は如何にもイチ劇中歌に過ぎず特に感じる事はなかった曲が、
ストーリーが進むにつれて登場人物の運命を狂わせた事がわかり、最終的にはあのリサイタルに繋がっていくんやから、
歌は世につれ・世は歌につれが如く、潮騒のメモリーが陰の主役だった様にも錯覚したぐらい。
ついでに書けば、潮騒のメモリー以降も複数のあまちゃんオリジナルの劇中歌が流れてましたが、
良くも悪くもそれらは典型的な劇中歌レベルに終わった事で余計に潮騒のメモリーの凄さが増したと思う。
まぁ、僕のええ加減な記憶を逆回転すれば夏さんの手術中の『いつでも夢を』の合唱も大概“来る”ものがありましたが、それはそれとして(笑)
そうそう。
電車を使ったプロポーズで大吉っつぁんをハメたところも書いておきますかね。
電車の車体にプロポーズの言葉を書くというネタはひょっとしたら過去何らかの作品であったのかも知れませんが、
肝心のプロポーズをする人間が知らないドッキリだったというのは素晴らしい。
あのアキが成長して(?)大吉っつぁんの背中を押すなんて人生って面白い、みたいな(笑)
それと、あれだけの大仕掛けのシーンに参加していながら放送当日まであのネタをネットに流さなかった(ですよね?)久慈ロケのエキストラの皆さんの口の堅さも素晴らしいよなぁ。
ただでさえ田舎者は口が軽い人が多いし、イベントが少ない地域ならば、あんな楽しい事に目の当たりにしたらまず黙っていられないですよね。
これまた感謝、感謝です。
最後に『おしまい』が本当に『おしまい』なのかについて。
とりあえず、ユイが東京に行かないまま終わったのは驚いた。
太巻があーいう上からの言い方をしたから余計に腹を括った感じで、もったいないよなぁ。
アキも、もし例のノートに東京の事が書かれていたならば、太巻が居なくなってからユイの背中をどーん!と押してこその親友やろがって話で(笑)
あっ、ユイはともかく。
一番美しいのは、観た人も含めて誰も傷つかず、観た人それぞれのふわふわっとした『あまちゃんのつづき』のイメージをさせながら、
紅白歌合戦でのワンナイト・スタンドも含め良い思い出として記憶に残り続ける事だとは思う。
しかし、二人がサイリウムを持って畑野トンネルの向こう側へと駆け抜ける名シーンの前に…
クドカン的にはもちろんドラマ自体ではなく、被災地の復興のストーリーはまだまだ続くんだよ、という意味なんでしょうけど、
それでもあんな何回も“明日がある”旨の台詞をクドカンが書いていたら、どーしても期待してしまう。
話はちょっとそれて。
映画『ALLWAYS 3丁目の夕日』の続編の企画が立ち上がった直後には、複数の役者さんが
『無理に続編をやらなくても…』
と出演オファーの返事を一度は渋ったという話もありましたから、
一応原作ありきの3丁目〜でさえそうだったとなると、オリジナルの あまちゃんは、
出演者よりも前にクドカン自身によっぽどのキッカケが無いと、その気にはならんのやろーなぁ。
もちろん、作品の完成度が移ろいやすいクドカンだから、賛否両論・ないしは否の方が圧倒する様なオチでもいいならば、簡単に書いてしまう気はしますが…ねぇ。
こればっかりは、ストーンコールドやないけど『Never say never』であってほしいですね…
おしまい。
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