今日の昼間は、例の(笑)映画『ゼロ・グラビティ』3D吹替版を観てきましたので、その感想を書いていきましょう。
ヒューストン、一方通信…

※PC版ホームページ
≪以下ネタバレ注意≫
ヒューストン、一方通信…

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≪以下ネタバレ注意≫
宇宙という、生物の生存が不可能なぐらいに何もなく壮大かつ未知過ぎる空間を舞台にした、
とんでもないカメラワークをフル稼働した迫力がある上に未体験の怖い映像の数々は凄かったですね。
しかも、何というか地球に帰還しながらも溺れ死ぬかもしれない!というまさかのダメ押しがあったもんだから、
エンドロールが終わった後にもまだ何かあるんじゃないか?と反射的に思ってしまい、なかなか席を立てなかった(苦笑)
事前にいろいろ評判は聞いていた関係で酔う事はありませんでしたが、
予備知識無しで…例えば試写とかでアレを観ていたら一体どーなっていたやら!?

とにかくなぁ。
冒頭の事故発生の映像も凄かったし、衛星の破片が頭部に直撃した同僚パイロットの遺体はちょっとビビったし、
パラシュートが絡まって…も、パラシュートが伏線だった驚き込みで凄かったし、
一息付いたと思った刹那の火災発生時のスリリングさは心臓バクバクものだった。
この先、今作の様に宇宙を舞台にした怖い映像が最大の売りになっている作品を観れる可能性はある様に思いますが、
声のみの出演を含めても片手で数えれるぐらいしか登場人物が少ない&音楽の使い方が独特だからこそ生み出せる極限なまでの“静”の場面と、
アクシデントの数々の“動”の場面という両極端さが際立つ作品は今後出てこない…と断言できると思う。
でもなぁ…という思いも僕の中ではありまして…ですね。ここからは、でもなぁ…の詳細について書きますと…

多分制作側が観る側に伝えたかったであろう
『宇宙空間では何が起きるかわからない』
的な怖さを堪能する為には3Dは必須条件過ぎて、それはどーなんやろーなぁ、とは思った。
実際のところ、2D版で観ても映像の凄さはそれなりに伝わるのかも知れませんが、改めて2D版で観ようとまでは…というのが正直なところ。
メジロライアンとホワイトストーンという2頭の名馬から名前をとった(大嘘)ライアン・ストーン教授とマット・コワルスキーの会話劇になるもんだと思っていたら、
ヒューストンからの通信という形で何から何までに近い勢いで説明してくれるという脚本も、完全に意表をつかれたもんだから結構凄かったしもっと評価されてもいいとは思いますが、
ライアン教授がコワルスキーと別れてから、生き延びて地上に立つまでの流れが強引過ぎた感があり、それはちょっと…ねぇ。

もちろん観てる間はスクリーンに引き込まれていたからそこまで考える余裕は無かったけど、
宇宙でひとりぼっちになったライアン教授ばりに一人で今作について思い返してみれば…ね。
酸素が少なくなって…とか90分経てばまた破片が飛んで来る…の緊迫感は良かったし、
百歩譲って火災のステーションをギリギリのところで切り離せたのはご都合主義っぽくてもまだ許せたけど、
シュミレーターでは墜落ばかりだったのに、ボタンに書かれた中国語が読めなくて
『ど、れ、に、し、よ、う、か、な…』
で選んでたノリなのに無事に大気圏を通過できてしまったのはさすがに…ね。
アレがもうちょっと何とかなっていれば、一度は諦めたライアン教授がコワルスキーの幻と会話するシーンの“心の染み方”が増していた様な気もするし…

僕の中の結論。
こーいう、新しいスタイルの怖い映画としての第一歩としては『素晴らしかった』の一言。
されど『パシフィック・リム』と同じく、間違いなく新しいスタイルなれど、これが完成形というか究極形だとは思わなかった。
考えようによってはまだ いじる余地、向上の余地がある、というか。
でも『パシフィック・リム』よりも改善する余地が少なかったのも事実。これは贅沢なアレなのかなぁ…
いや、ひょっとしたら上映時間は据え置きのままで、サンドラ・ブロックの一人芝居の部分と驚愕の映像を増やしてBGMを減らして、みたいな形でいじる続編とかが作られてしまうのかも…
まぁ、そこら辺はアルフォンソ・キュアロン監督がこれだけ手間隙かかる作品を作るモチベーションを取り戻すことができるか否かの話なんでしょうね。
今回はこんな感じで。
日の出が美しいだろ…


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とんでもないカメラワークをフル稼働した迫力がある上に未体験の怖い映像の数々は凄かったですね。
しかも、何というか地球に帰還しながらも溺れ死ぬかもしれない!というまさかのダメ押しがあったもんだから、
エンドロールが終わった後にもまだ何かあるんじゃないか?と反射的に思ってしまい、なかなか席を立てなかった(苦笑)
事前にいろいろ評判は聞いていた関係で酔う事はありませんでしたが、
予備知識無しで…例えば試写とかでアレを観ていたら一体どーなっていたやら!?

とにかくなぁ。
冒頭の事故発生の映像も凄かったし、衛星の破片が頭部に直撃した同僚パイロットの遺体はちょっとビビったし、
パラシュートが絡まって…も、パラシュートが伏線だった驚き込みで凄かったし、
一息付いたと思った刹那の火災発生時のスリリングさは心臓バクバクものだった。
この先、今作の様に宇宙を舞台にした怖い映像が最大の売りになっている作品を観れる可能性はある様に思いますが、
声のみの出演を含めても片手で数えれるぐらいしか登場人物が少ない&音楽の使い方が独特だからこそ生み出せる極限なまでの“静”の場面と、
アクシデントの数々の“動”の場面という両極端さが際立つ作品は今後出てこない…と断言できると思う。
でもなぁ…という思いも僕の中ではありまして…ですね。ここからは、でもなぁ…の詳細について書きますと…

多分制作側が観る側に伝えたかったであろう
『宇宙空間では何が起きるかわからない』
的な怖さを堪能する為には3Dは必須条件過ぎて、それはどーなんやろーなぁ、とは思った。
実際のところ、2D版で観ても映像の凄さはそれなりに伝わるのかも知れませんが、改めて2D版で観ようとまでは…というのが正直なところ。
メジロライアンとホワイトストーンという2頭の名馬から名前をとった(大嘘)ライアン・ストーン教授とマット・コワルスキーの会話劇になるもんだと思っていたら、
ヒューストンからの通信という形で何から何までに近い勢いで説明してくれるという脚本も、完全に意表をつかれたもんだから結構凄かったしもっと評価されてもいいとは思いますが、
ライアン教授がコワルスキーと別れてから、生き延びて地上に立つまでの流れが強引過ぎた感があり、それはちょっと…ねぇ。

もちろん観てる間はスクリーンに引き込まれていたからそこまで考える余裕は無かったけど、
宇宙でひとりぼっちになったライアン教授ばりに一人で今作について思い返してみれば…ね。
酸素が少なくなって…とか90分経てばまた破片が飛んで来る…の緊迫感は良かったし、
百歩譲って火災のステーションをギリギリのところで切り離せたのはご都合主義っぽくてもまだ許せたけど、
シュミレーターでは墜落ばかりだったのに、ボタンに書かれた中国語が読めなくて
『ど、れ、に、し、よ、う、か、な…』
で選んでたノリなのに無事に大気圏を通過できてしまったのはさすがに…ね。
アレがもうちょっと何とかなっていれば、一度は諦めたライアン教授がコワルスキーの幻と会話するシーンの“心の染み方”が増していた様な気もするし…

僕の中の結論。
こーいう、新しいスタイルの怖い映画としての第一歩としては『素晴らしかった』の一言。
されど『パシフィック・リム』と同じく、間違いなく新しいスタイルなれど、これが完成形というか究極形だとは思わなかった。
考えようによってはまだ いじる余地、向上の余地がある、というか。
でも『パシフィック・リム』よりも改善する余地が少なかったのも事実。これは贅沢なアレなのかなぁ…
いや、ひょっとしたら上映時間は据え置きのままで、サンドラ・ブロックの一人芝居の部分と驚愕の映像を増やしてBGMを減らして、みたいな形でいじる続編とかが作られてしまうのかも…
まぁ、そこら辺はアルフォンソ・キュアロン監督がこれだけ手間隙かかる作品を作るモチベーションを取り戻すことができるか否かの話なんでしょうね。
今回はこんな感じで。
日の出が美しいだろ…

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コメント
コメント一覧 (2)
でもこのパターンで、ここまでの映画を作るのは凄いと思いましたよ。
あと話は変わりますが、イオンシネマのフリーパス。
手続きに多少の面倒を感じても、あれは結構お得ですよ。
男性の場合であれば、3ヶ月で9本以上見るなら完全に元が撮れますからね。
「思えば、2013年の“パシフィック・リム”と“ゼロ・グラビティ”が、本作実現のための第一歩でしたねぇ〜〜」などと思い返していたりしてー
(只今絶賛妄想中〜〜〜〜〜!)