先日はですね、映画『白ゆき姫殺人事件』を観てきましたので、今回はその感想を書いていきます。
3日間胃袋をつかめばいい…

※公式ホームページ
≪以下ネタバレ注意≫
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≪以下ネタバレ注意≫
殺害方法からして十分残酷で、題名も『殺人事件』だったのに、
終わってみれば“掴み”の要素しかない題名が一番最初のミスリードだったとしか思えないぐらい、サスペンスとしてはそこまで大した事はなかったし、
白ゆき姫と言いながら実は白雪姫ではなく赤毛のアンが重要なキーワードだったりして、
一捻りを通り越して悪のり感が強い肩透かしの仕方は、何回も一瞬ポカーンとなったし(苦笑)
しかし。
ゴシップエンターテイメントという聞きなれないし、今後掘り下げられていくかどうか定かではないジャンルに含まれる作品としては、間違いなく最高傑作だったんじゃないでしょうか。

2014年に観た映画としては迷いなく暫定1位にできるぐらい面白かったし、
サイキッカーの残党としては
『かつては裏のとれてない芸能人の噂話を毎週日曜日の深夜に公共の電波に乗せまくっていた まこっさん&竹内先生も、もし話の流れで別の地雷を踏んでいたら三木典子よりも悲惨な殺され方をしていたのだろうか…?』
と要らん事を考えてしまうぐらいに後に引きずる余韻が残ったもんなぁ。
とにかく。
ストーリーの構成と、Twitterのやりとりも含めた脚本面での各種伏線の張り方と、怪しさ&妖しさを増長させたシンプルなBGM。
そして、中村親分が綾野剛と井上真央にかなりハイレベルな演技を求めて見事に実践してみせた事からくる、演技面での突き抜け方は素晴らしかった。
大体、何でポスターやパンフでは井上真央の いなたいOLとしての表情を使わんかったのかなぁ。もったいないですよ!?

中村親分は、三木典子が城野を敵視していた以上の勢いで『原作を上回る事』を意識していた筈だ!と確信してしまったぐらい(笑)
振り返ってみれば。
最初は赤星がこの物語の世界の中で一番胡散臭くて究極レベルのペラッペラな人間で、
そーいうペラッペラなノリで猟奇的な殺人事件の真相を追っていく話だとミスリードしてましたよね。
ところが話が進んでいく程、各登場人物の城野にまつわる ありとあらゆる証言が自分に都合が良くて虚実無いまぜで胡散臭い事が何となく判明するや、
立て続けに各登場人物の嫌な部分が晒されていき、また同時進行でオカルトの要素や妄想癖と絡ませていき、城野が救いようがないところまで追い詰められたタイミングで、
よもやの赤星も城野も全くタッチしていない範囲で、あっさりと真犯人が逮捕されて事件が解決して肩透かしを食らわされた上に殺人の動機も大した事がないし。

おまけにラストでは、Twitterで城野の犯人説を小出しにしていった赤星が、ブーメラン状態でTwitterで晒し者&袋叩きにされてしまうといった感じで、
やたら後味が悪いという肩透かしの仕方は、良くも悪くもインパクトは抜群だった(苦笑)
当然の様にワイドショー側の謝罪はあっさりしていて、観る側のフラストレーションが最高潮になりかけたところで、
赤毛のアンのロウソクがどーこうという思いもよらないやりとりで感動させられた末に、
最初で最後の赤星と城野の遭遇&会話で、それなりに救いがあった…
いや、救いがあった様な気はするけど、実はあの時の城野の表情が、芹沢ブラザーズを階段でプッシュしてしまった時以上に
『魔女か?天使か?』
がわからなかったという…いやぁ、よくできた映画だったよなぁ。うん。

されどここからは、それだけ突き抜けていて大いに満足できたものの、僕が不満を感じたところを書いていきます。
まずはTwitterの使い方。
ただ単に湊先生と中村親分がTwitterの世界に のめり込んでいないならば仕方ないと割りきる事はできますが…と前置きをして僕の見解を書けば。
Twitterでのやりとりが、ナレーションの代わり的な扱いで画面に活字が出続けただけに終始していたのは、
Twitterでゴシップが広がっていく恐ろしさを十分に表現しきれていない印象が強いんですよね。
『じゃあ、Twitterの怖さって何やねん?』
と言われたらうまく説明はできませんが(すみません)、
今作の場合はあれならばTwitterではなくても、mixiでもラインでも某匿名巨大掲示板でも、ゴシップが無責任に広がっていくところが表現できた筈。
どーせだったら城野の親友“だった”おねーちゃんから見た天ちゃん絡みのエピソードを、全部で100ツイートになる勢いで立て続けにTwitterにUPして、
おねーちゃんのアカウントが炎上して、観る側が輪をかけて嫌な気持ちにさせられたり、
城野が自らの生い立ちの告白&遺書の超長文もTwitterにエンドレスでupし続けて、
『この告白文を書いたのは本当に城野なのか?なりすましなのか?』
の判断でTwitterが軽くパニックになる描写を中盤に入れておけば、あっさり真犯人が逮捕された時の『何やそれ』感が増した筈だと思うし…

次に不満が残ったのは、脚本面で明らかに手抜き…は言い過ぎかな?
明らかにツメの甘さを感じてしまうところが幾つかあった事。
例えば、冒頭の『みっちゃん』の名前の繰り返しは後々意味はないのにくどかったり、
小学校の先生が夕子にとっては屈辱的なタコちゃんのあだ名をあっさり受け入れていたところだったり、
芹沢ブラザーズを階段プッシュする直前の城野の葛藤が無かったり、
一流企業のオフィスなのに、冷蔵庫に入れていたケーキが食われたり、高いボールペンが無くなったぐらいで有り得ないぐらいの大騒ぎになっていたり…
『そーいうツッコミを入れる隙だらけのツメの甘いシーンこそが、虚と実の虚の部分を増幅させているんだ』
と言われたら反論はしませんが、
中村親分は言うに及ばず、そんな中村親分とは何回もタッグを組んで脚本の執筆している林民夫さんの作品らしくねぇよなぁ、
そもそも内田けんじ監督ならばそーいう隙は見せないよなぁ、とは思ったなぁ…
とりあえず『白ゆき姫殺人事件』は虚と実が入り乱れていますが僕のこの感想はリアルですよ、たぶん…
と最後に書き記してこの記事を終わります…


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終わってみれば“掴み”の要素しかない題名が一番最初のミスリードだったとしか思えないぐらい、サスペンスとしてはそこまで大した事はなかったし、
白ゆき姫と言いながら実は白雪姫ではなく赤毛のアンが重要なキーワードだったりして、
一捻りを通り越して悪のり感が強い肩透かしの仕方は、何回も一瞬ポカーンとなったし(苦笑)
しかし。
ゴシップエンターテイメントという聞きなれないし、今後掘り下げられていくかどうか定かではないジャンルに含まれる作品としては、間違いなく最高傑作だったんじゃないでしょうか。

2014年に観た映画としては迷いなく暫定1位にできるぐらい面白かったし、
サイキッカーの残党としては
『かつては裏のとれてない芸能人の噂話を毎週日曜日の深夜に公共の電波に乗せまくっていた まこっさん&竹内先生も、もし話の流れで別の地雷を踏んでいたら三木典子よりも悲惨な殺され方をしていたのだろうか…?』
と要らん事を考えてしまうぐらいに後に引きずる余韻が残ったもんなぁ。
とにかく。
ストーリーの構成と、Twitterのやりとりも含めた脚本面での各種伏線の張り方と、怪しさ&妖しさを増長させたシンプルなBGM。
そして、中村親分が綾野剛と井上真央にかなりハイレベルな演技を求めて見事に実践してみせた事からくる、演技面での突き抜け方は素晴らしかった。
大体、何でポスターやパンフでは井上真央の いなたいOLとしての表情を使わんかったのかなぁ。もったいないですよ!?

中村親分は、三木典子が城野を敵視していた以上の勢いで『原作を上回る事』を意識していた筈だ!と確信してしまったぐらい(笑)
振り返ってみれば。
最初は赤星がこの物語の世界の中で一番胡散臭くて究極レベルのペラッペラな人間で、
そーいうペラッペラなノリで猟奇的な殺人事件の真相を追っていく話だとミスリードしてましたよね。
ところが話が進んでいく程、各登場人物の城野にまつわる ありとあらゆる証言が自分に都合が良くて虚実無いまぜで胡散臭い事が何となく判明するや、
立て続けに各登場人物の嫌な部分が晒されていき、また同時進行でオカルトの要素や妄想癖と絡ませていき、城野が救いようがないところまで追い詰められたタイミングで、
よもやの赤星も城野も全くタッチしていない範囲で、あっさりと真犯人が逮捕されて事件が解決して肩透かしを食らわされた上に殺人の動機も大した事がないし。

おまけにラストでは、Twitterで城野の犯人説を小出しにしていった赤星が、ブーメラン状態でTwitterで晒し者&袋叩きにされてしまうといった感じで、
やたら後味が悪いという肩透かしの仕方は、良くも悪くもインパクトは抜群だった(苦笑)
当然の様にワイドショー側の謝罪はあっさりしていて、観る側のフラストレーションが最高潮になりかけたところで、
赤毛のアンのロウソクがどーこうという思いもよらないやりとりで感動させられた末に、
最初で最後の赤星と城野の遭遇&会話で、それなりに救いがあった…
いや、救いがあった様な気はするけど、実はあの時の城野の表情が、芹沢ブラザーズを階段でプッシュしてしまった時以上に
『魔女か?天使か?』
がわからなかったという…いやぁ、よくできた映画だったよなぁ。うん。

されどここからは、それだけ突き抜けていて大いに満足できたものの、僕が不満を感じたところを書いていきます。
まずはTwitterの使い方。
ただ単に湊先生と中村親分がTwitterの世界に のめり込んでいないならば仕方ないと割りきる事はできますが…と前置きをして僕の見解を書けば。
Twitterでのやりとりが、ナレーションの代わり的な扱いで画面に活字が出続けただけに終始していたのは、
Twitterでゴシップが広がっていく恐ろしさを十分に表現しきれていない印象が強いんですよね。
『じゃあ、Twitterの怖さって何やねん?』
と言われたらうまく説明はできませんが(すみません)、
今作の場合はあれならばTwitterではなくても、mixiでもラインでも某匿名巨大掲示板でも、ゴシップが無責任に広がっていくところが表現できた筈。
どーせだったら城野の親友“だった”おねーちゃんから見た天ちゃん絡みのエピソードを、全部で100ツイートになる勢いで立て続けにTwitterにUPして、
おねーちゃんのアカウントが炎上して、観る側が輪をかけて嫌な気持ちにさせられたり、
城野が自らの生い立ちの告白&遺書の超長文もTwitterにエンドレスでupし続けて、
『この告白文を書いたのは本当に城野なのか?なりすましなのか?』
の判断でTwitterが軽くパニックになる描写を中盤に入れておけば、あっさり真犯人が逮捕された時の『何やそれ』感が増した筈だと思うし…

次に不満が残ったのは、脚本面で明らかに手抜き…は言い過ぎかな?
明らかにツメの甘さを感じてしまうところが幾つかあった事。
例えば、冒頭の『みっちゃん』の名前の繰り返しは後々意味はないのにくどかったり、
小学校の先生が夕子にとっては屈辱的なタコちゃんのあだ名をあっさり受け入れていたところだったり、
芹沢ブラザーズを階段プッシュする直前の城野の葛藤が無かったり、
一流企業のオフィスなのに、冷蔵庫に入れていたケーキが食われたり、高いボールペンが無くなったぐらいで有り得ないぐらいの大騒ぎになっていたり…
『そーいうツッコミを入れる隙だらけのツメの甘いシーンこそが、虚と実の虚の部分を増幅させているんだ』
と言われたら反論はしませんが、
中村親分は言うに及ばず、そんな中村親分とは何回もタッグを組んで脚本の執筆している林民夫さんの作品らしくねぇよなぁ、
そもそも内田けんじ監督ならばそーいう隙は見せないよなぁ、とは思ったなぁ…
とりあえず『白ゆき姫殺人事件』は虚と実が入り乱れていますが僕のこの感想はリアルですよ、たぶん…
と最後に書き記してこの記事を終わります…


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コメント
コメント一覧 (1)
確かに、アナグラムを利用したタイトルの出方にゾクッとした冒頭以外では普通に2ちゃんねるやブログと変わりない演出法だったですね。
『(パル)』(by浜村淳)を初めて観た時のような斬新さは、さすがになかったですー。
やはり音声は無しで、活字だけが延々、横スクロールしていく、というニコニコ動画形式にした方が、臨場感は出たかも知れません。
炎上も表現できたでしょうにねーーー(赤字で「死ね」を連射されたら、ちょっとは追い詰められ感が伝わるんじゃねーでしょうか〜?)