今回は一昨日の夜の話を書きましょう。
※ジャッジメント公式ブログ
※プロレスリングBARジャッジメント Twitterアカウント
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えーと、この日は仕事終わりにプロレスリングBARジャッジメントに行きましてですね。
店主の佃さんと、次期シリーズの『何だかなぁ』感満載のマッチメークを眺めながら新日本プロレスのライトなファンの優しさについてあーだこーだと意見を交換したり、
DDT両国大会とドラゴンゲート大田区大会についての話をした後で、
別のお客さんからのリクエストがあってテレ朝チャンネル2『ワールドプロレスリング・クラシック』で放送された1986〜87年の新日本プロレスの試合を幾つか観たんですよね。
これがもうねぇ、僕も佃さんも他のお客さんも齢が不惑に突入していたもんだから、若き日の自分を思いだし無茶苦茶面白かった(笑)
思い返してみれば。
昨日観たドキュメンタリー映画『夢は牛のお医者さん』での知美さんの長い長いストーリーが始まったのは1987年。
昨秋に観て僕の心の琴線に響きまくった音楽ドキュメンタリー映画『ベイビー大丈夫かっ!? BEAT CHILD1987』も舞台もその名の通り1987年やったっけ。
これはもう偶然じゃない…いや、偶然やっちゅうねん(笑)
偶然云々はともかく、1987年って言ったら僕は中二かぁ。
そんな感受性が強いとされる時期に、現在の新日本のマッチメークよりも糞度合いが数段強かった、猪木および猪木周辺の人間発信の各種糞アングルを、
ゴールデンタイムで嫌という程見せられてもプロレスというジャンルから離れなかった人間は、そう簡単にプロレスからは離れんわなぁ…
と、10月の富士市大会でのナウリーダーvsニューリーダー世代闘争が長州のフライングで空中分解した映像を観ながら思った(笑)
ついでに書けば、その世代闘争の空中分解のを今改めて見たら(確か)猪木が敢えてパートナーに指名した筈なのに、
藤波&長州の波状攻撃で秒殺されたリバプールの風になる前のライガーを、軽く足蹴にしてリングの中から出すシーンを目の当たりにして当時の猪木の非道さを実感した次第(汗)
また、長州と藤波の乱闘を仲裁しようとしていたセコンドの木村健悟が何故か激昂してTシャツを脱ぎ、
しかも長州が藤波に対して宣戦布告のマイクをする前に、
『二人とも何をやってるんだ!』
とマイクでカマしてしまうという、軽めの放送事故?を見せられた時は悪い意味で軽めの鳥肌が立ったぐらいで…
そんな世代闘争・空中分解の次に観たのは、1986年の日本のプロレスのベストバウトだった大阪城ホールでの藤波vs前田日明戦。
故・アドリアン・アドニスの『良い物っていうのは古くならないんだよ』の名言の通り、今観ても素晴らしかった。
前田日明がとんでもない高さで宙を舞ったニールキック不発のシーンに始まり、じっくりとしたグラウンドの攻防があって。
前田日明の、この歳になって冷静に見たら、ミドルもハイも軌道や当たる場所が安定していないから かえって怖さがある蹴りの数々に対する手の動き方からして、
キックをガードする練習なんかまるでやっていなかったと思われるのに、
顔をそむけず前に出ようとしたり、きついローキックをノーガードで受けても立ち上がり続け、
まさかのパイルドライバーを筆頭にしてドラゴンスクリュー『以外』のプロレス本来の技で反撃していく藤波辰巳の勇姿は心底感動させられた。
そして前田日明の例の縦回転ニールキックのド迫力は、前記の木村健悟のマイクの時とは違う鳥肌が立ったもんなぁ…
そして、試合後にお互いがお互いを認めあった歴史的名シーン…
もし こんな名勝負ばっかりチョイスして観ていたら、DDT両国大会をはじめとする現在進行形のプロレスを追いかけるモチベーションは絶対低くなる、と思いましたね…
ちなみにこの日はその藤波vs前田日明戦の後に、87年ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦・後楽園大会での藤波&木村vs長州&マサ斎藤を締めとして観ました。
フィニッシュは血だるまにされた木村健悟が首固めで長州に勝つという結構な番狂わせだったのですが、
歴史的にはこの年のタッグリーグ戦よりも、この数日後に発生してしまう『前田日明の長州顔面蹴撃事件』の方がインパクトが数段強く、
ついでに書けばこの試合も試合の終盤に放送終了時間を迎えてしまい保坂アナが番組を一旦締めてしまうという、ゴールデンタイム生中継だった時代が故の悲劇が発生してしまう。
あー、木村健悟ってこーいう星の元に産まれてきたのね、みたいな感じです(苦笑)
ん〜、ジャッジメントで昔の新日本の映像を観る機会は今後もあるんでしょうけど、木村健悟絡みの映像はもうええかなと思いました…
というオチにしときますかね今回は。
せーの、稲妻!
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店主の佃さんと、次期シリーズの『何だかなぁ』感満載のマッチメークを眺めながら新日本プロレスのライトなファンの優しさについてあーだこーだと意見を交換したり、
DDT両国大会とドラゴンゲート大田区大会についての話をした後で、
別のお客さんからのリクエストがあってテレ朝チャンネル2『ワールドプロレスリング・クラシック』で放送された1986〜87年の新日本プロレスの試合を幾つか観たんですよね。
これがもうねぇ、僕も佃さんも他のお客さんも齢が不惑に突入していたもんだから、若き日の自分を思いだし無茶苦茶面白かった(笑)
思い返してみれば。
昨日観たドキュメンタリー映画『夢は牛のお医者さん』での知美さんの長い長いストーリーが始まったのは1987年。
昨秋に観て僕の心の琴線に響きまくった音楽ドキュメンタリー映画『ベイビー大丈夫かっ!? BEAT CHILD1987』も舞台もその名の通り1987年やったっけ。
これはもう偶然じゃない…いや、偶然やっちゅうねん(笑)
偶然云々はともかく、1987年って言ったら僕は中二かぁ。
そんな感受性が強いとされる時期に、現在の新日本のマッチメークよりも糞度合いが数段強かった、猪木および猪木周辺の人間発信の各種糞アングルを、
ゴールデンタイムで嫌という程見せられてもプロレスというジャンルから離れなかった人間は、そう簡単にプロレスからは離れんわなぁ…
と、10月の富士市大会でのナウリーダーvsニューリーダー世代闘争が長州のフライングで空中分解した映像を観ながら思った(笑)
ついでに書けば、その世代闘争の空中分解のを今改めて見たら(確か)猪木が敢えてパートナーに指名した筈なのに、
藤波&長州の波状攻撃で秒殺されたリバプールの風になる前のライガーを、軽く足蹴にしてリングの中から出すシーンを目の当たりにして当時の猪木の非道さを実感した次第(汗)
また、長州と藤波の乱闘を仲裁しようとしていたセコンドの木村健悟が何故か激昂してTシャツを脱ぎ、
しかも長州が藤波に対して宣戦布告のマイクをする前に、
『二人とも何をやってるんだ!』
とマイクでカマしてしまうという、軽めの放送事故?を見せられた時は悪い意味で軽めの鳥肌が立ったぐらいで…
そんな世代闘争・空中分解の次に観たのは、1986年の日本のプロレスのベストバウトだった大阪城ホールでの藤波vs前田日明戦。
故・アドリアン・アドニスの『良い物っていうのは古くならないんだよ』の名言の通り、今観ても素晴らしかった。
前田日明がとんでもない高さで宙を舞ったニールキック不発のシーンに始まり、じっくりとしたグラウンドの攻防があって。
前田日明の、この歳になって冷静に見たら、ミドルもハイも軌道や当たる場所が安定していないから かえって怖さがある蹴りの数々に対する手の動き方からして、
キックをガードする練習なんかまるでやっていなかったと思われるのに、
顔をそむけず前に出ようとしたり、きついローキックをノーガードで受けても立ち上がり続け、
まさかのパイルドライバーを筆頭にしてドラゴンスクリュー『以外』のプロレス本来の技で反撃していく藤波辰巳の勇姿は心底感動させられた。
そして前田日明の例の縦回転ニールキックのド迫力は、前記の木村健悟のマイクの時とは違う鳥肌が立ったもんなぁ…
そして、試合後にお互いがお互いを認めあった歴史的名シーン…
もし こんな名勝負ばっかりチョイスして観ていたら、DDT両国大会をはじめとする現在進行形のプロレスを追いかけるモチベーションは絶対低くなる、と思いましたね…
ちなみにこの日はその藤波vs前田日明戦の後に、87年ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦・後楽園大会での藤波&木村vs長州&マサ斎藤を締めとして観ました。
フィニッシュは血だるまにされた木村健悟が首固めで長州に勝つという結構な番狂わせだったのですが、
歴史的にはこの年のタッグリーグ戦よりも、この数日後に発生してしまう『前田日明の長州顔面蹴撃事件』の方がインパクトが数段強く、
ついでに書けばこの試合も試合の終盤に放送終了時間を迎えてしまい保坂アナが番組を一旦締めてしまうという、ゴールデンタイム生中継だった時代が故の悲劇が発生してしまう。
あー、木村健悟ってこーいう星の元に産まれてきたのね、みたいな感じです(苦笑)
ん〜、ジャッジメントで昔の新日本の映像を観る機会は今後もあるんでしょうけど、木村健悟絡みの映像はもうええかなと思いました…
というオチにしときますかね今回は。
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