今回は、リングス・オランダのハンス・ナイマン選手が亡くなった件について書いてみます。
※カクトウログ 刑務所入りした両者に殺人予告〜ディック・フライは出所拒否、ハンス・ナイマンは出所したところを銃殺される
※カクトウログ 刑務所入りした両者に殺人予告〜ディック・フライは出所拒否、ハンス・ナイマンは出所したところを銃殺される
昼前に第一報を聞いた時は『オランダで銃で撃たれて亡くなったらしい』というぐらいの情報だったので、
日本の試合では最後の対戦相手になってしまった鈴木みのるがTwitterで、
および佐竹雅昭がFacebookでコメントを出しているのは見ましたが、
それでも、可能性は限りなく0に近いとはわかっていながらもガセネタである事を祈ってました。
ところが。
時間が経つに連れて前田日明がコメントを出したりオランダでの報道内容が翻訳されたりした末に、
現時点での情報がまとめられたカクトウログさんの記事に書かれていた『死刑宣告』だか『マシンガン』だか何だかの単語を見てしまうと、悲しいのを通り越してと唖然とさせられた…というかですね。
リングス初期、フライやナイマン選手やウイリー・ピータースも居たかな?
ドールマンを親分と慕う若き日の彼らが、夜は飾り窓やら酒場でバウンサーとして働くところをワウワウのドキュメンタリー番組で観ていたのもあるし、
かつてはリングス・オランダのマウリック選手が銃で撃たれて亡くなってもいたので、
オランダに在住して格闘技に携わり続けるという事は、こーいう非業の死を迎える事と紙一重の人生なのだ。
だからこそ、リングに上がった時にあの独特の“怖さ”が漂っているのだ、と割り切る必要があるんだ…
と自分自身に言い聞かせようとしたのですが、冷静に考えればリングスが設立されたのは1991年な訳で。
20年以上経っても、オランダで…
いや、オランダに限らない話なのかもしれないけど、格闘技に携わる人達を取り巻く生活環境は、そんなに変化は無いっぽい印象が残った。
もちろん
『今も昔もオランダって怖い国なんですね』
と片付けるのがベターなんでしょうけど、そんな現実はナイマン選手が殺された以上に悲しいよなぁ、と…
もっとも、これは当たり前の話ですが格闘技以前にこんな事件はあっちゃいけない。早急に犯人が逮捕される事を祈るばかりです。
ここからはナイマン選手の思い出。
あの顔の怖さも強烈だったけど、ナイマン蹴りも絶対挙げなきゃいけませんよね。
なお、スタンドの攻防でナイマン蹴りに繋げる正拳突きも説得力がありましたが、空手は疎いもんでこの場では割愛させていただきます。
とにかく、伝統派空手出身のナイマン選手ならではの変則的な蹴りの軌道は、芸術品であり『一芸に秀でている』レベルだった。
またナイマン蹴りを使いこなすナイマン選手がグラウンドになると脆い(オランダ勢のほとんどがそうでしたが)点が、
日本語では総合格闘技・英語ではMMAを名乗りながらも、オランダではフリーファイトとして紹介されていて、
競技性と、フリーなファイト=要はケンカの部分のバランスがとれていないところを象徴していた感もあり…
まぁ、ナイマン選手は怖い人だった!っていう事でまとめておきます(爆)
そんなナイマン選手の怖さが際立っていたと記憶している試合は、ウィキペディアにも記載されている長井戦。
確か長井が勝ったらゴルドーとの再戦が実現する、みたいな流れがあった上で組まれた試合だったのですが、
ナイマン選手が爪先を立てた状態でミドルキックを長井のボディーに入れて、肋骨をへし折ってKO勝ちたんですよね。
興行翌週の週プロの爪先が立っている状態で蹴りを入れた瞬間の写真を観た時は、ゾ〜ッとした。
もう1つ挙げれば試合ではなくて。
94年の夏、フライがほぼ反則の掌底を連発してきて、前田日明がブチ切れた大阪の試合の(詳細は各自調査)終了後、
大混乱になったリング上やバックステージで、もしかしたら試合よりも険しい顔をして、セコンドとしてフライを(確か)なだめようとしていたナイマン選手も怖かったよなぁ。
天国ではできるだけ穏やかな顔になっていてほしいものです。
ナイマン選手の御冥福をお祈りいたします。
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日本の試合では最後の対戦相手になってしまった鈴木みのるがTwitterで、
および佐竹雅昭がFacebookでコメントを出しているのは見ましたが、
それでも、可能性は限りなく0に近いとはわかっていながらもガセネタである事を祈ってました。
ところが。
時間が経つに連れて前田日明がコメントを出したりオランダでの報道内容が翻訳されたりした末に、
現時点での情報がまとめられたカクトウログさんの記事に書かれていた『死刑宣告』だか『マシンガン』だか何だかの単語を見てしまうと、悲しいのを通り越してと唖然とさせられた…というかですね。
リングス初期、フライやナイマン選手やウイリー・ピータースも居たかな?
ドールマンを親分と慕う若き日の彼らが、夜は飾り窓やら酒場でバウンサーとして働くところをワウワウのドキュメンタリー番組で観ていたのもあるし、
かつてはリングス・オランダのマウリック選手が銃で撃たれて亡くなってもいたので、
オランダに在住して格闘技に携わり続けるという事は、こーいう非業の死を迎える事と紙一重の人生なのだ。
だからこそ、リングに上がった時にあの独特の“怖さ”が漂っているのだ、と割り切る必要があるんだ…
と自分自身に言い聞かせようとしたのですが、冷静に考えればリングスが設立されたのは1991年な訳で。
20年以上経っても、オランダで…
いや、オランダに限らない話なのかもしれないけど、格闘技に携わる人達を取り巻く生活環境は、そんなに変化は無いっぽい印象が残った。
もちろん
『今も昔もオランダって怖い国なんですね』
と片付けるのがベターなんでしょうけど、そんな現実はナイマン選手が殺された以上に悲しいよなぁ、と…
もっとも、これは当たり前の話ですが格闘技以前にこんな事件はあっちゃいけない。早急に犯人が逮捕される事を祈るばかりです。
ここからはナイマン選手の思い出。
あの顔の怖さも強烈だったけど、ナイマン蹴りも絶対挙げなきゃいけませんよね。
なお、スタンドの攻防でナイマン蹴りに繋げる正拳突きも説得力がありましたが、空手は疎いもんでこの場では割愛させていただきます。
とにかく、伝統派空手出身のナイマン選手ならではの変則的な蹴りの軌道は、芸術品であり『一芸に秀でている』レベルだった。
またナイマン蹴りを使いこなすナイマン選手がグラウンドになると脆い(オランダ勢のほとんどがそうでしたが)点が、
日本語では総合格闘技・英語ではMMAを名乗りながらも、オランダではフリーファイトとして紹介されていて、
競技性と、フリーなファイト=要はケンカの部分のバランスがとれていないところを象徴していた感もあり…
まぁ、ナイマン選手は怖い人だった!っていう事でまとめておきます(爆)
そんなナイマン選手の怖さが際立っていたと記憶している試合は、ウィキペディアにも記載されている長井戦。
確か長井が勝ったらゴルドーとの再戦が実現する、みたいな流れがあった上で組まれた試合だったのですが、
ナイマン選手が爪先を立てた状態でミドルキックを長井のボディーに入れて、肋骨をへし折ってKO勝ちたんですよね。
興行翌週の週プロの爪先が立っている状態で蹴りを入れた瞬間の写真を観た時は、ゾ〜ッとした。
もう1つ挙げれば試合ではなくて。
94年の夏、フライがほぼ反則の掌底を連発してきて、前田日明がブチ切れた大阪の試合の(詳細は各自調査)終了後、
大混乱になったリング上やバックステージで、もしかしたら試合よりも険しい顔をして、セコンドとしてフライを(確か)なだめようとしていたナイマン選手も怖かったよなぁ。
天国ではできるだけ穏やかな顔になっていてほしいものです。
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コメント
コメント一覧 (1)
それどころかオランダに関しては以前より悪くなっている状況で…。
http://sadironman.seesaa.net/article/251923776.html
↑これは2年前ですが改善なされてる様子はなく…(もう国内全土で駄目かも?)
興行が開催されねば、借金とかしてもまともな手段で返せる道がない訳で。
そこでなおジム経営を続けてたナイマンが金銭上のトラブルで射殺されたとすれば…。
オランダの格闘技復興のために尽力してたゆえにナイマンが射殺されたとすれば、あまりにも哀しい話。
心からご冥福をお祈りいたしますm( )m